■千春のお話

Part 1 すごい大学に行っていた  目次

実は私、体育大学出身なのです。(大学名はあえて出しません・・・。学校の名誉も傷つきかねない話題も多いので。)
体育大というと決まってジャージ。通う電車の中で、very髪が短くて、ズータイと態度がでかい、ジャージのおとこ女を見たら、「あっ○○体育大の学生だ」と誰もがわかります。実際私は小学生から、「こえ〜〜女子プロ大のおとこ女だー。逃げろー。」と叫ばれたことがあります。
私ジャージを着てないのに・・背も高くないのに・・なぜわかるの?と思って廻りを見ましたら、友人がみんなジャージでした(笑)。そういう訳かどうか、私はジャージが異常に嫌いです。必要以外は着用しません。
この大学、半分以上の学科が体育です。
1時間目陸上でハイジャンプ、2時間目体操で鉄棒、3時間目ハンドボール、4時間目は教育心理学・・ここでほとんど寝るかさぼります、でないと体が持ちません。ランチタイムはネズミの走る学食で大盛りのわかめうどんと揚げギョーザとチキンライスをぺろりと平らげ、5時間目のモダンダンスで四苦八苦して、6時間目のバスケのゲームで爆発する・・・・・てな毎日。要するにお勉強しません。 
どんなことにも順応するタイプの私が、初めて5月病にかかりました。「お母さん、女子プロ大っていわれたんだよ」
「みんなネズミのいる学食で平気でご飯食べてるの」
「飛んだり走ったりばっかりしてる」
母は簡単に「やめちゃいなさいよ」
そうか、辞めよう。でも高校の先生にだけは話しておこう、と高校へ行ってわけを話すと・・・「あのなあ、おまえ推薦で入学してるんだぞ。もし辞めたら、この高校に今後推薦の枠がこなくなるんだぞ。下級生のためにも高校のためにももうちょっと頑張ってくれよぉ」説き伏せられた私は仕方なく大学に舞い戻ります。お休みが続いていたので、クラスの友達も心配していたようです。通称「通い」といわれている寮生ではない友人が、私の存在を知ってくれていたため、元気を取り戻して大学を卒業することができました。ちなみにこの学校、寮生が8割以上、通いが2割弱。要するに全国の田舎者が集合しています。
この日以来今に至っても6人グループは仲良くしています。では続きはまた。 
Part 2高校の時不良だった目次

自慢ではありませんが、不良というより高校が嫌いでした。多分高2の頃は年間/100日以上学校をさぼっていました。今から思えば思春期?気に入らないことはやらない性格?勉強が嫌いだったのか?定かではないのですが、さぼるのが好きでした。学校へたまに行っても中抜けは当たり前。
隣の大学の学食でコーヒーを飲んだり、隣の大学のお兄さんと仲良くなって雀荘やらパチンコやらをしてました。よく卒業できたものです。本当なら出席日数が足りなくて、絶対留年していました。それどころか体育大学の推薦をもらって、さっさと受験戦争をくぐり抜けてしまいました。きっと先生は私のことが怖かったんだと思います。なにをしでかすかわからないとこるがあったのでしょう。
高1の頃から「週一コンパ」と名付けられた飲み会も盛んでした。下北沢の太郎丸ではちょっとした顔でしたね。みんなゲロもしょっちゅうでしたし。(嫌な客だったんだろうなあ)だいたい16歳ですから飲み方なんて知る者はおらず、大抵ゲロで締めくくり。麻雀やって、夜のみにいって・・・、の間にはなぜか私は必ず部活に出ていました。それも何故だかわからないのですが、部活は好きだったのでしょう。おかげで、本当の不良にはなりませんでした。
先生が、「あれ?おまえ今日休んでいたよな?」
と不思議そうに訪ねても「体が治ったので部活だけきました」とちゃっかり答えていました。麻雀仲間のお兄さんたちに「部活だから帰るね!ラーメンごちそうさま!」(毎日お昼ご飯をおごってもらっていた)・・・・てな具合でした。
今はどうか知りませんが、当時停学になった女子は私だけだったそうです。修学旅行で酒とたばこが原因です。そんなこというと私はきっと3年間中停学になっても当たり前の素行でしたから、これはラッキーだったと思うしかありません。良い先生?は学校帰りにあうと、俺たちは今日「鳥ぎん」へ行って飲むからくるなよ!などと教えてくれたものです。思い返してみるとすごい毎日でした。我が子がこんなことをしでかしたらなんていうのでしょうね。私の父母もかなり忍耐強いと、今になって思います。 

Part 3中学校の教員になろうと思ってやめたわけ目次

お話が前後しましてごめんなさい。大学の時は教員になろうと思っていました。そうです、体育大ですので体育の教員です。でも、教育実習に行ってあっさりやめました。 まず、そこの中学生が異常に悪かったのです。
その1.万引きした生徒を連れにスーパーへ行って謝ったことがあります。
その子を家まで送るのですが、親は帰っていませんでした。
延々11時まで玄関前で親の帰りを待ったことがあります。(その子は鍵を忘れてきていた) 
その2.子供たちが掃除をしない
掃除当番なんてあってないような生徒たち。教育実習中毎日私一人で掃除していました。 他にもたくさん理由がありますが、この2つは特大の理由です。ボランティアの教育実習生時代にこき使われすぎたのです。もしこれが本職になったら?
絶対や〜〜めた!というわけです。

中学3年くらいになると男子生徒も大人のようです。学校に向かうときマジで「今度旅行へ行こうぜ」といわれて本当に困りました。困ったわけ?
ちょっとかっこいい男の子だったので(笑)、迷ったわけです。
なんてのは本当に冗談です。
断ると怖そうだったんですよ。
これってセクハラですよね。
お尻も触られましたし。こっちは中学1年男子です。代わりにキンタマ握ってやりましたけど。少々お下品になりました。 

体育の教育実習は保健体育の学科もあるので、他の教科と違って1週間長くいるんです。最後の1週間は他の教育実習生もいないので、寂しいどころか生徒たちとよく遊びました。生徒たちは、しょっちゅう私の部屋へきていました。その部屋は調理室の隣で、調理室の紅茶のティーパックを生徒たちとこっそり飲んだりしてました。「先生って絶対本当の先生になれないよ」と太鼓判を押してもらえました(笑)。 

Part 4会社目次

大学卒業後会社に就職しました。当時は就職は引く手あまたでした。今は大変ですよね。その会社はスポーツクラブで、私は水泳を子供に教えていました。
わたし的にいうと、とてもかわった会社です。入社した日、新入社員が集められ社訓を大声でいわせられました。その後、社長さんが、「靴はナイキ!」というのです。(当時その会社はナイキと契約があって、社員はナイキの靴を支給されていました。)
続けて新入社員も「靴はナイキ!」
社長「ナイキ以外は靴じゃない!」
新入社員「ナイキ以外は靴じゃない!」 

でいろいろなお話があった後、各部署に解散するとき社長さんの横を通りました私。社長さんはじーーーっと私の足を見ています。
「君」「はい?」そうです、私はアシックスの靴を履いていたのです。「名前は?」

そういうわけで入社1日目から社長さんと顔見知りになってしまいました。ナイキ以外の靴を履いていたのは私だけだったようです。はいていない理由を聞かれて「嫌いだから」とうっかり本当のことを言ってしまったのも、顔見知りになる要因だったようです。 

Part 5インストラクター時代(1)目次

小さい子供0歳から中学生くらいまでの子供に水泳を教えていました。
最低でも3時間はプールに入りますので、体が悪くなります。なぜならば、教えている間は泳いでいるわけではなく、水に浸かっているので、いくら温水プールといえども体が冷えるんです。
先輩は冷えが原因でほとんど生理不順に悩まされていました。子供を授かることができなくなった方もいます。これは労災ですよね。私は「よしよし」しないタチだったので、親がプールをガラス越しに見ていようが見ていまいが、言うことを聞かない子供には怒鳴ったり、たたいたりしていました。だって危ないですよ。水は。間違うと命さえ落とす危険もありますから。ふざける子供には「バチン」です。 

で、親も見ていることが多いので、ある父兄から呼びだしがかかりました。「よくの家の坊やをたたいて!」っていわれるんだろうなあと予想していましたら、「いつもありがとうございます。びしびしやっていただいておかげで聞き分けが出て参りました」とほめられちゃいました。
しかもお礼に香水なんかもらっちゃったりして。複雑ですが・・・「家でやることでしょ」とか思いつつありがたく頂戴しました。出勤の曜日が変わっても何故かその子は私のクラスにコース変更(曜日変更)し廻ってました。

Part 6嫌なことはしない子供だった目次

よく通信簿に「ムラのある性格で嫌いな教科をやろうとしません」と書かれていました。5段階の通信簿で1〜5まで全部ありました。
1は決まって家庭科と書道(私の字は子供の字より下手だと思います)と社会。
5は体育と算数と理科系
2〜4は気分でしょっちゅう変わります。

嫌なことはいっさいやりませんでした。社会に出てから、ちょっとだけ変わったように思います。逆に嫌なことを率先してやろうと思ったのは、子供を産んでからです。育児で自分が育てられたようにも思います。今は「嫌!」と思うことがあまりなくなってきて・・・歳ですかねえ。
家の子供たちは私と違って優秀です。勉強もそこそこ。勉強はわたし的にいうと、ただの道具ですので、1がいっぱいあっても気にしません。なによりも、
第1にたくさん食べる
第2に歩いて学校へ行って帰ってくる
この2つが我が家の子育て第1目標です。
あかりとのどかは100点です。
ですので、立派な子供だと思います。
小学校へは3.5kmの道のり、白馬駅まで出てもうしばらくのところ。低学年だと1時間はかかります。しかも帰りはすべて上り坂。わたしはまねしたくてもきっとできないでしょう。1日2時間スポーツクラブへ行っているようなもので、子供たちは食べても食べても太りません。
体力も忍耐力もつきます。雨の日でも風の日でも歩きます。もちろん今日のような大雪の日でもちゃんと朝7時に出発します。子供たちが帰ってくると、抱きしめてやりたくなるくらいかわいいと毎日思います。わたしはいい子供を持ちました。 

Part 7インストラクター時代(2)目次

新入社員で六本木のカラオケやによく行きました。当時「カラオケ道場」というのがあって、舞台で歌って90点くらいだったか、3部門あって『音程』『リズム』『声』のようなのがOK出ると、ボトルが1本もらえるというシステム。みんな凄腕でしたので6人で行って5本はボトルを貰っていました。そのボトルをちゃっかり持ち帰って会社の指導長に売りつけていました(笑)売る方も売る方ですが、買う方も買う方です。
ある日会社でカラオケ好きを知った大人の会員の方が、もうクラブも終了時間というときに1曲歌えとうるさいので、館内放送でプールのみスイッチをONにして、キョン2を1曲(これは当時の私の十八番)ぶちかましましたら、大ウケ!!調子に乗ってもう1曲。その日は大喝采でおわりました。う〜んギャラリーが多くてエコーがきいてるなんてサイコー!なぁんて。 

翌日出勤すると上司が「おまえなぁ、昨日全館放送で歌うたったって本当か?」「違いますよ。プールだけで歌いました」「それ全館で流れていて、本社にクレームが入って社長カンカンだぞ。だいたいプールだけでもそんなことするな!馬鹿もん!」
・・・というわけで始末書を書かされて、本社に詫びを入れにに行きました。
★もう二度とこんな事はしません★・・・と。
本社に詫びというと、レスキュー隊呼んじゃった事件ってのがあります。何かの会社のパーティーの時だったと思うのですが、お客様が「エレベーターで人が倒れているので、救急車を呼んでください!」それは大変!で、すぐに私が119へ通報。とりあえず、現場には違う人にってもらい、私は会社の前で救急車の誘導をすることに。♪♪ピーポーピーポー♪♪「来たっ!」「あれ?」
そうです、レスキュー隊とハシゴ車が来たのです。
なぜか119の人が、「エレベーターに人が挟まって倒れている」に変更していたんです。しかも倒れていた人はただの貧血ですぐ復活。

私があわてて人が挟まっていると言ってしまったのか、119のせいなのか・・。どっちにしてもこういうことは始末書だそうで、その後消防署へ始末書を持って謝りに行ったのは、私と上司。
★確認してから通報します★・・・と。 
「おまえなぁ、俺に恨みでもあるんかぁ?まさか!指導長!私だって聞きたい。
「誰か私に恨みでもあるのぉ?」

Part8高校の頃(2)目次

多分滅多にないことだと思うのですが、友人の高校の授業を受けたりして遊んでいました。都立高校だったので、制服ではなかったのです。仲良しが別の都立高へ通っていたので、そんなことをしていました。体育の時間はお休みしている子の体操着をそっと借りて出席しましたが、ダンスで人数があわなくなって、どきどきしました。
その先生はちゃんと休んでいる子の人数をひいていたのです。
授業が中断され、何故だ?どうして?になってしまったので、クラスのみんなが
「あんたのせいよ」と私を見ます。仕方なく私は
「先生、私転校してきたばっかりだったのでクラスを間違えたようです」
の一言で解決。体育の先生は専科なので、担任を持っていないのでばれないと思って、とっさのでまかせ。こういうドキドキがたまらなくおもしろかったのです。
他には、隣の大学の学食でゆっくりランチタイムの時、教授らしき先生から「なぜ高校生がここにいるんだ」と聞かれてびっくりしました。制服じゃないので、高校生だってわかる分けないのに・・そんなに子供っぽいかしら?などなどの考えが頭をかけめぐっていましたら、教授さんは「ジッーー」っと私の足を。上履きのまま校庭から脱出したので、高校の上履きでばれちゃったんです。
即、ダッシュでした。
「ちゃんと勉強しろ!」という言葉を後にして。部活にだけは出ていたので、コーチ陣にはかわいがられました。変わってる・おもしろい....とはよく言われていましたけど。部活の後「おい飲んでいくぞ!」というお誘いもしゅっちゅう。他の部員はあんみつとか焼きそばで、私は焼き鳥とビールでしたけど。カウンターに座ると居酒屋のおじさんが「毎度っ!おーい、千春ちゃん来たよー生中ねー」「どうだー、部活の後のビールはうまいだろ?」返事にはいささか困りましたけどね。 

Part.9小学校時代は実はエリートだった目次

幼少の頃はおとなしくて何でも言うことを聞く子どもでした。(・・・と思うだけかも?)中学から私学へ行くとその後ラクでいいからと親に言われ、青山学院中等部を目指していました。ただ単に家から近い私学だったということと、青学は一流と両親が思っていたようです。ですので、小学6年生の頃には青学専門塾のようなところへ通っていて、その塾生は90%以上の合格率だったそうです。塾といってもほとんど家庭教師ような形。青学を目指す子供ばかりが8人弱位通っていたと思います。
そのほかに家庭教師が多分週に4〜5日来ていたと思います。この頃はまだムラがない性格だったのかもしれません。この頃は勉強をしていたという思い出だけで、他にはなにも覚えていません。問題は合格したかどうかなのですが、不幸にもほぼ合格ラインにいた私は受験の日、風疹にかかってしまいます。1日目に身体測定があって、高熱で返されてしまって、医者へ行くと「風疹なので受験は無理」
青学はだめでも次に東京女学院の願書を出していたので、そちらへ希望をつないだのですが、なぜか5日間熱が下がらず、そこも受験できませんでした。多分この後1週間くらい部屋にこもっていた記憶があるのですが・・・。
一番なにを思い出すかというと、このころ口内炎がひどくて口に5個も6個も口内炎ができていて、食事がとれずにどんどんやせてしまったこと。そしてこの辺から自分の嫌なことはいっさいしない人をめざし始めていたのかもしれません。
でもそれで良かった。そのおかげで今嫌なことでも進んでできるようになったから。
そういうこともあって私は勉強には重きを置いていません。子供たちには、あんまりしなくていいと言っています。あかりは非常に優秀なので、これだけできればもう一生勉強しなくていいよ、というと「普通のお母さんは勉強しろって言うのにね」といわれてしまいました。私は普通じゃないって事?

Part.10ハマトラってしってます?目次

高校の時はやったんです。多分横浜トラディショナル・・のような感じの意味でしょうが、私はこの格好をしていました。膝くらいのちょっと短めのスカートにハイソックスをはいてぺったんこのローファーを履いて、フクゾー(でしたっけ?)のセーターを着るようなスタイル。これで趣味が雀荘とパチンコ・部活・ディスコ・居酒屋ですから・・・。やっぱり変ですよね。
髪の毛は当然長くしてふわっと横に流してました。今写真を見たら、超キモチワル〜・・でしょうね。(気持ち悪そうなので全部実家においてきてあります)ぱっと見カワイイ風なので、電車の中で痴漢に遭ったことがあります。でもこの性格ですから、負けてはいません。込み合う電車の中ですかさずひじ鉄を食らわし、ひるんだ相手に次の駅で降りるように指示して、駅員さんとともに説教を食らわしました。相手は浪人中の代々木ゼミナールの学生。私は高校生だったので、当然年上。
「こんな事やってるとまた浪人するよ。身を入れて勉強せんかい!」
「ご迷惑をおかけしました。」てな具合だったのでしょう。駅員さんは大爆笑! 
新宿のディスコにはしょっちゅう行っていました。部活帰りなので、大きなスポーツバック持参で。これがロッカーに入らなくて苦労しました(笑)。新宿のカーニバルハウスとかギリシャ館なんてのは、1,000円で食べ放題でしたから、夕食がてらいっていましたね。もうちょっと大人になって高2〜3位になると六本木にも出没しました。スクエアービルのネペンタだったかなぁ。従業員さんと顔見知りになってよくただで入れてもらっていました。大学になると、ハマトラ維持のためバイト生活でしたね。
おこずかいってものは高校までだったかもしれません。大学の頃は横浜のスイミングクラブや品川プリンス内のスイミング、青学の初等部の夏の短期講習などなどプールでバイトしていました。青学は外プールだったので真っ黒でしたね。サーフィンするお友達と海へ行っても泳いでいるのでちょっと変人扱いを受けましたけど。 

Part.11大学の頃目次

この大学の生徒とは絶対に思われたくないので、髪も長かったと思います。この大学は異常な先輩/後輩 意識があります。もっとも体育大の得意とする分野ですが。50m先に先輩が見えたら大声で挨拶をしなくてはなりません。50m先の人に声をかけるのですからすっごい大声になります。「こんにちは」「失礼します」という大声がキャンパスのBGMでした。 
クラスの友達が学科の授業中ボーっと外を眺めていたら、先輩が通って目が合ってしまったので、シーンとした教室で突然「こんにちは」と叫んでびっくりしたことがあります。挨拶しなかったら大変なことになるんだそうで、友達もやむなくだったと思いますが、理由を聞いた先生が怒ってそのクラブの先輩に「どういうことだ」と問いただしたため、友人はもっとひどい目にあってしまいました。「もうおまえなんか退部だ、退部金50万払え」これはもうやくざの世界です。だいたい入部金を10万〜20万とったりするらしいので、そもそも根本的におかしい話です。
バレー部の友人は、コートの隅に置いてある『必勝』などと書いた人形をボール拾いの時に、ことんとおとしてしまったら、即「集合」とかけ声があがりぼこぼこにされてしまいました。ボール拾いの時にコートへ入ってはいけない決まりもあるそうで、変な話です。かといってコートの中のボールは当然拾わなければならないのだそうで、こうなったらMr.マリックにでも相談しなければなりません。
ある友人は部活の先輩の数が多すぎて顔が覚えられないので、挨拶をしそびれてしょっちゅうぼこぼこになっていました。かといって退部金を払うお金もなかったし、かといって錦を飾って田舎を出てきたので、大学を辞めることもできず、結局授業中以外はトイレで過ごすようにしていました。誰にも会わなくてすむからです。もちろん昼食もトイレでです。
私は部活に入りませんでした。本当は推薦入学なので、入らなければならないのですが、そんな異常集団はまっぴらごめんです。高校の先生も訳を話すと納得してくれました。「とりあえず大学を辞めなければよい」と。偶然入学式にジャージを忘れたのが幸いしました。その日練習に出た新入生は入部手続きをさせられたそうです。だいたい春休みあんなに優しかった先輩が、4月にはやくざに変貌していたので、おかしいな?と思っていたのです。私のカンはあたりました。 

Part.12私の母と関西弁目次

私の母は京都生まれです。東京で生活していたのに、いまだにずっと関西弁です。関西弁は標準語だと思ってるらしく、まったくギンペーちゃん(バケツでごはん)のお母さんのようです。彼女の関西弁で育った私は、関西弁を使うことができます。でも、「ちゃうやんかー」とか「ほなさいなら」って関西の国語の教科書に載ってるんでしょうか?標準語を習っているはずなのに、使わない、または母のように使えない関西人を多数見たことがあります。法事で京都へ行ったとき、いとこたちに「ちゃあ飲めへん?」と誘われました。さっぱり訳が分からず困っていると、「サテンいこか」あっ喫茶店に行きましょうと言っているのね。
以下喫茶店にて「おねーちゃんレーコーな」「俺もレーコー」
レーコー??壁にもレーコー350円と書いてある・・なに??で私は「アイスコーヒーください」で、いとこは「なにすかしとんねん、ほんならレーコーみっつや」
ウエイトレスの心中は多分、(なんやこの女ほんまにすかしてるわ、むっちゃはらたつ)レーコーはアイスコーヒーのことでまたはコールコーヒーとも言うそうで、レーコーのレーは冷、コールコーヒーのコールは凍るほど冷たいという意味だそう。
どういう観点から考えても自己中な言葉です。だいたいレーコーという言葉をメニューに書いてしまうこのダサさ。こんな事が通用していいのか!うちかてむっちゃはらたつでー。私のヴィトンのバックを見て「このバレンチノ、パチもんちゃうのん?」いい加減にしてよ!ばーか! 

Part.13水泳のインストラクターなんて目次

インストラクターなんてものはそれらしくしてるとそう見えるモノです。泳いでみせる場面さえなければ、コーチの技量はわからないです。実際私のいた会社では泳げないコーチがいました(笑)。あいている時間に自主練習するのですが、すっごい下手くそだらけでした。これは詐欺ですよね。背泳ぎを教えるとき「やってみせてよぉ」という子供に「そんなこといいから早くやれ」・・・みたいな。
そのコーチ背泳ぎしたら沈んでいくんですよ。私だけが知っている〜。
会社の上司もコーチがあんまり下手で困ったんでしょうね。会員のいる時間に練習してはいけない、といわれたことがあります。下手を使っていると自分の名誉に関わるからやめてくれ、ということでしょう。でもみんな勘違いして、練習しなくていいんだって・・・てな事になってしまったり。
背泳ぎといえば、太っている人の方が簡単に浮きます。脂肪があるからです。油は水に浮くのです。初めて水泳をやるおばちゃんに背泳ぎを教えたら、「怖ーい」というので「力を抜きましょうね、支えていますからね」「先生が持ってくれるなら安心だわ、離さないでね」と言ったとたん プカーッ と浮いてしまいました。
私は支えていませんでした。「先生持ってくれてるの?」
「いいえ、一人で浮いていますよ」「ぎゃああああああ」
力を抜けばいいと言うことが、よくわかったようです。この方は背泳がとても上手になられ、晩年マスターズと言う年齢別の大会に出場して水泳がなによりも楽しみとなられました。よく「先生のおかげです」なんて言われますが、「いいえ脂肪のおかげです」と答えていました(笑)でもスキーはそんなわけにはいかないでしょうね。名門の八方尾根スキースクールで、そんなパチモン使う訳にはいきません。スキーは移動があるし、滑りを見せない訳にはいきませんから。リフト乗るときコーチが転んでたら、「なんじゃこりゃ〜」ですよね(笑)

Part.14お酒を飲んだとき(1)目次

誰しもお酒に絡んだ思い出話は降ってわいてくるほどあるとは思うのですが・・。さんざん会社帰りに渋谷で飲んで、終電ぎりぎりの山手線に飛び乗って、「ほっ」。安心して眠りこけてしまいました。そして下車駅を遙かにすぎてほぼ一周眠りこけ、駅員さんに「お客さん終点です」と言われたら、なんと品川駅!うっそー、もう午前1:30、タクシーで帰るしかないか。幸運にもタクシーはすぐつかまり、また「ほっ」今度はタクシー、着いたらちゃんと教えてもらえるもんねー。好きなだけ寝かせてもらってちゃんと我が家の前に到着!「お客さんつきました」
「んがっ?はっ?そーか家に帰る途中だった、いくらですか?」「9.140円です」お財布には4.000円しかありません。「すみません、足りないのでとってきます、ちょっとだけ待っててください」そういって4.000円だけ渡して家に入りました。「おとーさんもおかーさんも寝てるんだろうなあ」自分の鍵でそ〜っと入ってっと、「えーっと鍵、鍵、あったあった」電気を最小につけて、
「おかーさんの財布財布っと。」家捜ししてると、「あんたまた飲んだね。いったい何時やとおもってんねん」関西弁で説教が・・・きたっ。
「ごめんごめん、電車で寝ちゃってさあ、乗り過ごしちゃった」
「はよ寝なさい。さっさとせんとお父さんも起きてきはるで。」
「はーい、おやすみなさい」・・・・・で熟睡。 

翌朝・・・「はっ!?タクシー代」そうです払い忘れちゃったのです。
なぜタクシーの方がピンポ〜ン♪しなかったのか。できなかったからです。実家はオートロックのマンションで、外からドアが開かないんです。しかもマンションで、家の部屋番号はわからない・・・。 

朝、あわててマンションの外までパジャマで見に行った私です。近所の人が、「どうしたの?パジャマで・・・火事?」「運転手さんいるわけないよねえ」と空を向いてつぶやく私。タクシーの運転手さんごめんなさい<(_ _)> 

Part.15お酒を飲んだとき(2)目次

あ〜あ、また飲み過ぎちゃったぁ・・・と思って目が覚めたら、私の顔をのぞき込むサラリーマンが3人も・・・。「何で家に知らないサラリーマンがいるのよぉ」と思ったらそこは下北沢の駅でした。私は駅で眠ってしまったのです。・・・これは高校の時の話。「駅で寝ちゃったからそのまま学校行くね」と母に電話したら、「浮浪者じゃあるまいし、着替えに戻りなさい」と言われてしまいました。「でも、麻雀の約束があるから、学校行ってジャージに着替えるね」「・・・・」私はこれでも母に何でも話していましたから、母は一応信用してくれていました。学校の駅に着くと、「千春ちゃ〜ん」と隣の大学のお兄さんたちが待っていました。「一人足りなくて困ってたんだよ。あれっ?昨日と同じ服?朝帰り?彼氏と泊まったの?」ヤツギバヤで質問です。彼氏と泊まってたのに麻雀しに来るやつがいるモノか〜。それでも駅で寝ちゃったのは恥ずかしくていえませんでしたケド。「おなか空いちゃった。出前とってもいい?」「何でも好きなモノとっていいよ」大学のお兄さんは優しかったのです。ごちそうになっても、麻雀は本気でした。滅多に負けることはなく、ちゃんとお支払いいただいておりました(笑)そのころは彼氏はいなかったように思います。やんちゃくれでしたから、誰も女としてみていなかったような気がします。多分自分でも女だと思ってなかったかも?だいたい、彼氏とおつきあいする暇がありませんでした。 
Part.16私の母(2)目次

関西人の血が流れている母。ごっつうがめつい〜。ある日 ピンポ〜ン♪
「NHKの受信料を頂きに参りました。」「払えへん。」
「お客様、決まりになっていますので・・・」
「NHKはもう10年は見てないんや。」
「そういわれましても・・、」
「なんならNHKのチャンネルうつらへんようにしてくれていいわ、うちはいらんしな」「そういわれましても・・、」
「うちだけ映らへんように線をぬいといたらええやんか。見てへんもんは、払えへん。ほなさいなら。」
「がちゃん。(インターホンをおく音)」
「千春よう聞きや。今日からNHK映らへんしな。線切ってもろたわ。」
「んなこと、ある分けないじゃん。」
またある日、高級ホテルにお泊まりした私たち。チェックアウトの時
「サ−ビス料が10%かかりまして、○○○円になります。」
「何にもサービスしてもろてへんさかいに払われへん。」
「サービス料は、別になりますので、」
「別にサービスを受けてませんねん。」
「・・・」
そこで私、「私が払うから・・カードでいいですか?」
「千春ちゃんも出世したもんや、ええの?悪いなぁ。」
・・・母の作戦に引っかかったようです。
「でも、何にもサービスしてへんのにケタクソ悪いホテルやな。」
私には返す言葉がありませんでした。 

Part.17あかりが「お母さんやめて!」目次

このお母さんとは私のこと。東京ばーちゃんは変わってるけど、お母さんも変わってるよね。・・・と娘たち。
「なんでなんで?普通じゃん!」
「マラソン大会で『あかり!日本一!』ってたくさんの人の中で叫んだでしょ。私恥ずかしくてその後うまく走れなかった。」
「だって応援したかったんだもん。」
「声大きいよね。」
「はっきりしてた方がいいでしょ。」
我が家で流行っているのが「イエーイ」と言ってジャンプすること。そのときにバレーボールのブロックの形で両手あげてジャンプして、部屋の天井に両手をつくのです。(そんなこと説明すな!って感じ〜)それを参観日に「ゆうじー(あかりのクラスの男の子)イエーイやってあげよっか?」「やってー」と教室でジャンプして見せたので、「お母さんやめてよ〜」あかりさんはブンブンに怒ってしまいました。「もう参観日にこないで。」・・・とまで言われてしまった。トホホホ・・・。
のどか(二女)だって言います。
「絶対参観日で大きい口で笑わないでよ。」ちょっぴり悲しい私です。ほとんど気にしてないんだけどね。 

Part.18よく食べる目次

私たち一家はよく食べます。特に私と大護はよく食べます。回転寿司なんか行ったら大変です。お皿のタワーがどのテーブルより高い!だから、オール100円のところしかいけません(笑)。教育実習へ中学校に行ったときも、おかわりしていましたので、生徒が、「ふつう、教生っておかわりしないんだよ。」と言うので、「飯食わなきゃやってらんないよ。」と捨てぜりふをはいたのは私です。
「ふつう、昼休みにバレーボールとかやって遊ぶのに、ずっと食ってる。」とまで言われました。
この頃の給食ってすごくおいしくなったんですよ。
私たちが子供の頃って、主食のほとんどが食パンと四角いマーガリン。たまにあげパンだったり、うどんがビニールに入っていて大きいエビの天ぷらのおつゆに自分で入れる方式の天ぷらうどんだったり。それも月に1〜3回あればいい方。食パン食べるのが嫌で残した子が、机の奥に食パン入れたまんまで、青カビははえて出てきたことがありましたよね(笑)。
いまはご飯もよく出るようですし、しかも混ぜご飯だったり!なにもトッピングのない食パンなんてのはほとんどなくて、サンドイッチになっていたり、ホットドッグだったりすごくアレンジしてあるんですよ。
給食と言えば、中学の時給食だけでは足りなくて、よく昼休み抜け出してピザのシェーキーズに食べに行きました。給食の牛乳の瓶を制服のポケットに忍ばせて何人かで。シェーキーズって、お昼は食べ放題なんですね。今もあるのかな?1人だけ食べ放題でお金を払って入って、後からこっそり友人も入って、その1枚のお皿で何回もとって、ちゃっかりみんなで食べていました。飲み物はトーゼンもちこみの給食の牛乳。ひどいときは紙に包んで上着のポケットへ入れて持ち帰って、教室で後から食べたり。先生が、「ピザのにおいしないか?」・・・と授業中言ったのにはドキッとしましたけど。10年ほど前に久々にそのシェーキーズへ行ったのですが、食べ放題のチェックが厳しくなっていて、必ず後からタダで入れなくなっていましたけど。
シェーキーズのポテトおいしいんですよね〜。白馬に来てからそのたぐいのお店がないので、ちょっと悲しい。ケータリングとかもないし。必然的に手料理がうまくなるのですが、私のギョーザやシュウマイは家族に大人気。200個以上作ってもみ〜んなぺろり!こんなによく食べるので、豚挽き以外は買えません。食費ってかかりますよね〜。何せ我が家は7〜8人分が最低ですから。毎日お客さん商売やっているみたいです。 

Part.19大学の頃(2)目次

合コンってありますよね。大学生の定番!!でも私たちの大学の場合、申し込みがあるのは○○大学相撲部とかレスリング部、はたまた少林寺拳法部・・・絶句・・・。それでもこましなのが1人くらいいるだろうと出かけてしまった友人。相撲部との合コンので、イッキの嵐と玉のような汗のにおいと、でぶでぶ攻撃でめまいがして合コン中ぶっ倒れた友人。レスリング部の場合はイッキは当然、やたらスキンシップを好み、マッチョを見せびらかしたいが為に脱ぎまくり、それでゲロってしまった友人。私は絶対うちの大学に来た合コンには行きませんでした。
でも、ハイソ女子大学の合コンに行ったことがあります。人数が足りなかったらしい・・。相手は有名医学部。思いっきりおしゃれしましたね。おかげで見た目はハイソ女子大。でもなんだか合コンがつまらなくって、盛り上がりもないし、なんだか1カップル、2カップルちょいちょいぬけてっちゃって。そんなのありか!合コン終わってから抜けろ!ガンガンガンガン飲みまくった私。「あの子本当にハイソ女子大?」とささやかれながら・・・。この頃お客様が「千春さんを見る目が変わりました。」とよくおっしゃるので、あんまりお下品な内容はやめようと思いつつも、私の青春時代はど〜もお下品であります。「あんな人だとは思わなかった」と予約のキャンセルするのはどうぞご勘弁を!「ヤンキーだったんだね。」と佐野さんいわないで!「横浜トラディショナル」ですからねっ。

Part.20停学になったのは目次

高校の時停学になったことのある私ですが、それには大きな理由があります。
私たちのクラブでは修学旅行の翌日に試合が控えていました。大事な試合だったので、私たち部員は修学旅行に参加しないと言ったのですが、先生はダメと言いました。それでなぜか修学旅行先で練習をする羽目になりました。おかしいと思いませんか?お寺さんの横で練習をしていると急に腹が立ってきました。そうそう行き先は京都でした。だったら、こなくても良かったのに。どうして、こんな事を強制される必要があるんでしょう?で、夜やけ酒です。そしてちゃんと見つかりました。なぜかそのとき私はクラス委員でした。何ででしょうね?変なの。365日中100日は授業を受けていなかったのに。そんなわけで、大事な試合にも出られず、始末書を書きました。先輩も今度ばかりは怒り気味。校長先生も担任も嘆きました。女子で停学者が出たのは初めてだと。先生もトレードとか指名があればいいのに・・・。当たりはずれありますよね。生徒に選ぶ権利を与えないと、変な先生はのさばるばかりです。ワースト2人は首を切るくらいのことした方がいいのにね。使えないのは切りましょうよ! 
Part.21いろいろバイト目次
アルバイトはかなりたくさん経験があります。中でもおもしろかったのは、警備保障の交通整理。工事現場でトラックの誘導をしたり、歩行者の誘導をしたりするんです。当時日給10.000円くらいありました。仕事はきつかったけど、現場のおじさんたちが優しくて、毎日ご飯をごちそうになっていました。当時女でこのような仕事を選ぶのは珍しかったようで、現場は私だけが女でしたね。歩道でトラックの誘導をしていて、ハイソ・サーファー友人にばったり会ってしまったことがあります。
「何やってんのぉ〜?」「バイトだよ」「何これ〜、あははは」
思い出すだけでムカムカしてきたから、フルネームで名前出しちゃおうかな。他には年末にスーパーで大きなパックのアイスクリーム売り。「んなもん、売れる訳ないじゃんか」・・・と思いつつも、完売。真夏の時期におせち料理の注文、販売。「んなもん、注文する分けない!」・・・150件注文完売。買わせ上手と呼んでください。神宮球場の売り子。家がすぐ近かったせいもあります。ある程度歩合なんですね。いくらか以上売り上げがあると+αがあります。巨人戦は儲かりました。阪神戦はゼ〜ンゼンダメ。しかもお客さんの質が悪い。「ねーちゃん、帰り送ったるわ」としつこく言われて何回まいて帰ったことか。(・・・星野投手・・むっとしないでね。事実なんですから)冬はホットウイスキーがあるんですけど、小さいウイスキーの瓶をカップに空けてお湯をつぐんですが、それをちょっとずつ残しておいて、合間に飲んでました(笑)。お陰でゲームが終わるときは、ちょうどほろ酔い気分。野球もみれて、ただ酒飲んで、お金ももらえる幸せなバイトでした。
Part.22最近の話目次
最近と言うより今日の話。急に現実的になりますが、昼食ラウンジに外来のお客様が2日続けていらっしゃって、ご自分の宿の話をされました。夕食がバイキングで、昨日は手羽先とサラダとご飯だけだったんですって。おとといは鮭とサラダとご飯だったそうで、もうお食事にはがっかり・・。しかもごはんはべちゃべちゃで、黄色くなっていて、食べられる代物ではなかったそう。4泊でリフト券付のパックで30.300円/1人だそうです。計算しますと、1人1泊/5.100円になります。安いから仕方ない・・・とお連れ様がおっしゃっていました。でもひどすぎる・・・と他の方。
「お宅もそういうスタイルなの?バイキング?」と聞かれましたので、「1泊/10.000円くらいで、フランス料理のフルコースですから全く違います。」と答えました。明日はもう食事をとらない、とまで断言されていました。しかもこの宿はお部屋以外のお風呂がなく、お部屋のユニットのみなんだそうで、ユニットに換気扇がないので、シャワーを浴びていると死にそうになるんですって。今は安い価格で泊まれるところが多くなってきて、「安いから仕方ない」と、ホテルにクレームが来ない時代だそうです。
「これがイヤなら他へ泊まれ」・・・と言うところでしょうか?「また行きたいね」と思っていただくことが経営者側・ホテル側の統一した意見だと思っていましたが、近年は違うようです。でも、おかしな話しです。
その宿は「もう来ないでもいいよ」と考えているとしか思えないので。
そのお客様が来なくても他の人が来るからいい、ということ?その食事で満足する人がリピーターとなってまた来る?・・・まさか考えられません。私たちは「また行きたいね」と思っていただきたいです。高くてもおいしいお米を仕入れていますし、食材は吟味します。お食事は手間暇をかけて手作りをします。みなさまに「おいしいね」と言っていただきたいから。
Part.23気持ちワル〜目次

変質者が出たりして町の噂になることがありますよね。高校の近くで夕暮れ時に、黒いコートを着たおじさんが出て「すみません」と声をかけて振り向くやいなや「バッ」っとコートを開くと下は何も着ていない。見たくもないフルチンを見せるフルチンおじさんがいました。あまりに被害者が多いので、わたし的に
「もし私が会ったら逆に驚かせてやろう。」と常々思っていたんです。で、とうとうその日がやってきました。ちょうど暗くなりかけた夕方、電柱の街灯の下にコート姿のおじさんがたっていました。
「間違いない、あれがフルチンおじさんだ。」
「すみません」そして・・・「バッ」
少々ひるみながらも、すかさず私は「小さすぎるー!」とありったけのでかい声で叫びました。そのおじさんは二度と私たちの前に現れませんでした。変質者と一言では言い難いが、それまがいの同級生の男子の話。クラスの女子全員の生理の日をなぜか知っていて、「おまえソロソロだからちゃんと用意しとけよ。」とのたまう。「うるさいわね、やめてよ!」などと日頃は言い返していました。最初は冗談で言っていたと思っていたのに、ある日私にそっと言うんですよ。「今月はまだ来ないね。おかしいなぁ、もう1週間遅れている・・・。」と。あまりにもドンぴしゃで、背中がぞぞぞーーっとなりました。そして、遅ればせながらやっと来た朝、教室で会うなり、「そうかやっと来たか〜。良かったな!」とぽんと肩をたたきます。何で何で〜わかるのぉ?よくよく聞いてみるとにおいでわかるというのですよ。ちょっと想像しただけでも気持ちワル〜。気持ち悪いけど、いいやつだったので、それを利用して「ねーねー、後何日だったっけ?今度の水泳の日当たる?」と女子が聞くようになりました。手帳を出して「おまえは後5日。でもちょっと不順だからなぁ。5〜8日後ってとこかな。」
これはかなり得意技になると思います。一応人の役にも立つし!。でもすごい趣味ですよね。やっぱ気持ちワル〜。 

Part.24泊まってみたい宿目次

先日に引き続き宿のお話し。私が泊まってみたい宿?もちろん志鷹ですね。こんな宿が他にあったら、絶対リピートしちゃいますね。でも実際ないんですよね〜。私たちはファミリーなので、ゲレンデサイドでなくちゃいけないし、大きいホテルのようなビジネス的な対応の所はイヤだし、かといって小さい民宿で「すみませ〜ん」と何度呼んでも誰も出てきてくれないところは困るし・・。お食事は普段食べたことがないようなごちそうがいいし〜。子供がすごしやすいところ、お子さまはお断りの所は困るし。駐車料金とかとられるのは悲しいし〜。サービス料なんて絶対払いたくないし〜。スキー場は八方以外はおもしろくないし〜。シーズン中忙しいので4月半ば頃、ちょっとスキーに泊まりで行ってみようかな?と思っても、実現したことがないのはこういう理由があるワケなんです。かなりPR文章となってしまいました。すんまそ〜ん。 
Part.25デモンストレーターとは目次
けさ、慎吾さんのスペシャルキャンプに参加してくださったお客様から、メールが入りました。その一部を参照させていただきます。 

カービングは板の性能とばかり考えていたため、その運動にもあまり興味がありませんでした。しかし、今回のレッスンをうけて綺麗なターンで、そして何度もおっしゃられていました、調整力のあるカービングターンを目指したいと心の底から思うようになりました。解りやすい理論で、ホントに何度も目からウロコが落ちました。拾うのが大変ですが、私には志鷹デモの言葉のメモ(私は6年ぶりにスキーでメモを取りました)と滑りが目に焼き付いています。またビデオも残っています。何度もすり切れるまで見て、今後の課題として技術向上を目指したいと思います。デモとしてだけではなく、一人の人間として志鷹デモの事が好きになりました。今後のご活躍を期待しています。私が言うのもなんですが、技術選の本選もがんばって下さい。また、お会いできる機会ががあれば、是非、「よくなった」とおっしゃっていただけるようになっていたいと思います。 

デモって何?日本で基礎スキーを滑るのが一番上手な人?スキーを履いて様になるかっこいい人?人気のある人?いまどきの人?私はレッスンを受けた人に、スキーが大好きになってもらえる指導ができる人のことを言うと思います。ですので、デモ選ではこういう種目を増やすといいと思うのです。『スキー初心者〜中級者を誰が一番うまくさせる事ができるかコンテスト』『スキーコーチとして人間性にすばらしい人コンテスト』SAJに掛け合ってみましょうか?絶対慎吾さんは1位です。 

目次