■千春のお話

Part 234 GW

1年半ぶりくらいでしょうか
ご無沙汰しています、お話

今日は2014/5/4 GW真っ最中です
それでもぽっと時間ができたので、書いてみようかと

5/4というと塩の道祭り
あかりとのどかの小学校時代は、この日に八方太鼓の演奏があり、迎えがてら見に行ったもんです
忙しいさなかの迎えはとても大変だったけど、実はとてもリラックスした時間でもありました
おじいちゃんおばあちゃんも元気な頃で、留守番を頼んで出かけることも容易な時代でした
今では考えられない良い環境だったと思います

5/5といえば、大護の出産予定日でした
「5/5の子供の節句に3人目も女の子出産って〜」と恐ろしい嫌みを言われたこともあります
そう、こういうお商売の家では、どうも男児を望むのですね
でもって、うちはあかりとのどかがワンツーで女児だったので、スリーには男子をと私以外の人は望んでおられました
逆に私自身は、実は健康な子ならどっちでもよく
3人目も女子の方が、おさがりもいっぱい使えるし、などと思っていた訳です
そうでなくても、大護を授かったときは切迫流産で入退院を繰り返していたので、自分自身の体調も悪く、なんせ無事に出産を迎えたい一心でした
入院生活が多かった所為でしょう、妊娠したことさえ知らない友人も居ました
出産後、大護をだっこして歩いていると、誰の子? ってよく聞かれました.苦笑

子供3人共に共通するのは、みんな予定日を2週間近くすぎての出産だったこと
お腹の中に通常より長く滞在しました
大護のときは、切迫で早く生まれることだけは避けなければならなかったので、安静、そして身体を立ててはいけない、そして座るのもいけない生活
そう、下に降りてくることをくいとめよう作戦です
だから、食事も横になって食べていました
立ち上がるのはトイレのみという悲惨な毎日でした

だのに5/5をすぎてもちっとも生まれる気配がないわけです
とうとう2日後には、起き上がってよし
その後、歩いてよし
散歩しましょう
階段上り下りしてみて
挙げ句の果てには、絶対御法度だった軽トラに乗れ
それでも生まれそうにないから、軽トラでゴミ捨てに行ったりしちゃった次第です

連休が終わると母の日らしいですね
なにやらあかりがテニス用の短パンを送ってくれるようです、サイズの確認のメールが来ました
のんはよくカードを送ってくれます
これで大護が私に何か言ってきたら、飛び上がるほど嬉しいけど
まだまだ、そんな日は来ないでしょう

それでもみんな元気でがんばってます

いつも時間が出来ると、子供のことを想います
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